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行政改革―役所の業務革新のススメ
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1 行政改革は、何故進まない

ある日突然、市立図書館が閉鎖され、市民プールから水が抜かれる。

ごみの回収は週1度になり、学童保育や健康診断は打ち切られる。

市民病院の入院患者は他の民間病院へ転院させられ、閉鎖される。

これは、近い将来日本の地方自治体で起こりうることです。

既に市民病院等の閉鎖縮小は、日本でも起こっています。

これまでの行政改革は、組織や職、定数の削減など組織の改革を目指してきました。しかし、組織には人がいます。

組織の設置目的が達成され、全部やめられるなら問題は残りませんが、そのような組織の廃止は限られたものです。

現実には、ある程度役割を終えたかまだ役割があるか意見が分かれるようなものが行政改革の俎上に上るのです。

目的を達成したものは速やかに廃止するという強い意識が官僚にあった時代はともかく、最近は、組織を作ること、大きくすることが評価されると言われ、少しでも何らかの役割が残っていると一生懸命存続に動き、官僚は国益より省益を優先すると言われるようになってしまいました。

行政改革で、課や局の削減や定員の削減を求められても、他の組織に移管させて温存する、外部に出して定数は減った形にする等、およそやった振りになってしまいます。

それは、地方も同様です。

それでは何故このような名ばかりの行政改革になってしまうのでしょうか。

前述したとおり、官僚の省益優先という意識の問題が大きいということは疑うべくもありません。

しかし、それだけではありません。課などの組織や職を廃止しようした場合、これまでやっていた業務をどこでやるか、余剰の人員をどうするか、そこが解決できないと行政改革は停まってしまうのです。

これは、組織や職だけではなく、定数を削減する場合も同じです。

定数を廃止しようとすれば、その人が担当して業務を誰がやるかという問題が起きます。

5人の係を4人に減らす場合、労働強化になるのです。

これでは職員は喜んで協力しません。

改革によって国民や住民の負担が減ると喜ぶ職員だけではないのです。逆に行政サービスの質が落ちることもあります。

何の工夫もなく単に定数を1減らすだけであれば、改革の喜びはなく、自分の負担が増える不満の方が大きくなります。

結局のところ、職員は率先して定員の見直しなんかやらない、ということです

2 定員管理から業務革新へ

これまで行政改革といえば組織の改革であり定数の削減でした。

しかし、改革の実績は上がっていません。

課や係の定数を1、2人減員しようとしても、業務量が減らずに人員が減ると、1人当たりの処理量が増えるので反対されます。

例えば、定数5人の係を4人にすると、業務量を減らさない限り、1人当たりの処理量は20%から25%に5%増えるのです。

そのため、定数を削減しようとしても抵抗されます。

一方で新たな行政需要へ対応する場合は、新たに10人とか20人の定数増を認めますから純増します。

これが、定員が増大し削減が進まない大きな理由です。

また、本来は、時代とともに行政需要も変わり、新しい行政需要が生まれる一方で役割を終えるものもあったはずなのに、目的を達成したから組織を廃止するという手法はほとんど採られてきませんでした。

国においては、公社公団、公益法人等の名称が変わり、統合され、何~機構になり、独立行政法人になって存在し続けていることを見れば明らかです。

組織をつぶすことが省庁の権益を減らすと考えたためなのか、職員の生首を切れなかったためなのかわかりませんが、組織は肥大化し続けました。

本来組織の改廃がある場合は職員を分限処分(馘首)できるのですが、そういう手法はとられず、人は減らせずに来ました。

地方においても同様です。結局、大きな枝は切り落とされることなく小枝の剪定だけですから、新しい枝はどんどん伸びて木は繁茂することになります。

それを支える十分な水や栄養分があればいいのですが、ごく限られた養分しかなくなれば木は枯れます。

これまでの定員管理の手法、発想では大胆な改革はできません。

今こそ業務革新(イノベーション)が必要なのです。

小手先で少しくらい減らしても肥大化した行政組織は変わるものではありません。

意識が変わらなければまた自己増殖します。人を減らすことができないと、組織を統合し改革したように見せたり、名称を変更したりして形だけ取り繕います。単に組織の名称などを変更するだけでも費用は掛かるのです。これがこれまでの名ばかりの行政改革の実態です。

小どうすればよいか。それは、まず仕事のムダ取りすることから始めます。

まず仕事のムダ取りを行って仕事を減らします。

20%仕事を減らせば5人の係が4人でもできます。

仕事が減れば、組織も人員も減らすことができます。

一つひとつの仕事のムダ取りを行っていくうちに、職員には何が必要な仕事で何がムダな仕事か見えてきます。

何頁もの会議資料は必要か、何時間にも及ぶ会議にムダはないか、数日どころか数か月にも及ぶ決裁待ち期間は短縮できないか、書類を持って各課各部を回るのは簡素化できないか等、作り過ぎのムダや手待ちのムダなど前述した役所のムダに気付き、そのプロセスを改善しようとし始めます。

ムダ取りをすることによって、職員には、役所のあらゆる業務について、気づきが生まれます。意識改革が行われるのです。

行政改革とは、仕事のやり方を考えること、変えることによって、職員の意識改革が始まり、職員が自ら改革することなのです。

その結果、あらゆる業務が見直され、組織や職員も最適なものに向かうことができます。

さらに、その結果として、業務プロセスの見直しも行われます。

これまでのピラミッド型のヒエラルキーを維持できるかどうか。

入庁した職員が皆、係長、課長補佐、課長になり、多くの中間管理職が部下の仕事のチェックを主にしているような仕組みを維持できるかどうか。

主事から始まり部局長まで8段階から10段階もある職位を維持し、下から情報をあげて判断を仰ぎ、上から指示が下りてくる仕組みで機動的な対応ができるかどうか。この縦のプロセスの見直しが必要です。

どの程度の簡素化であれば、適正な判断と機動的な対応を維持できるか検討します。そして、必要最小限の職階を目指します。

同様に、横の仕組みも見直します。

役所では、係の中で、文書は、ほぼ全員に回覧、合議されます。それは、間違いをチェックするとともに、情報を共有する役割を果たすのですが、実際は内容をよく見もせずにハンコを押すめくら判がかなり行われています。

さらに係と係の際の問題の処理、他の係、他課他部局への合議などに時間を要しています。内部牽制や情報共有を維持しつつも決裁過程や合議方法の簡素化をどうすればよいか、検討します。

日本の行政は、長い間、下からの情報を上にあげて、上の判断を仰ぎ、それをまた下に指示するという上意下達のやり方でやってきたため、行政の担う分野が広くなればなるほど上も大きくなって、組織が肥大化してしまったのです。

三角形のピラミッドの底辺が大きくなれば、三角形自体も大きくなったのです。

その結果として、組織は肥大化輻輳化し、事務量も増大し、組織面でも作用面でも大きな行政府を作ってしまいました。

*図−1

これは、中央、地方を問わず、行政機関に共通です。

このように肥大化した行政機関の組織と仕事の仕方即ち作用を見直さなければならない時期に来ています。

行政機関の仕事のやり方を全面的に見直し、組織を改廃する。

それが業務革新です。

文書をチェックし、間違いがないか、規程に違反していないかを主に見る間接部門の職員を全国に何十万人も抱えていては、仕事が複雑化し、時間とコストがかかり、挙句の果てに何も生まれません。

そういう間接部門の職員を少し減らすだけでも国民・住民の負担は減るのです。

誤解のないように言っておきますが、今そういう仕事をしている公務員が悪いのではありません。

そういう仕事のやり方を見直すことなく続けてきたことが問題なのです。

そういう間接部門の仕事をできるだけ減らしてコストを削減し、そのコストと人員を産業振興や福祉などに向けた方がよいと言っているのです。

地方自治体によっては、職員の給与などの義務的な経費に予算の大半を取られ、投資的な経費には向けることができない自治体が出てきています。

近い将来、市役所や町村役場で職員の給与等を払えば、もう予算がない、職員を養って終わり、事業など何もやれない、という市町村が多数出かねません。

そうならないためには、まだ遅くはありません。

今からムダ取りを始めましょう。あらゆる仕組みを簡素化し、業務革新(イノベーション)に取り組みましょう。

3 本当にできるか疑問?

国や地方自治体において、本当に業務革新ができるか疑問に思われる方が多いと思います。

しかし、地方では改革は実践されているのです。

それゆえ、今や、できるかどうかではなく、やるかどうかなのです。

改革は、評価は別として、古くは美濃部東京都政の時代から地方から始まって来たと言っても過言ではありません。

近年では職員半減計画を打ち出した穂坂志木市長や、自治体はサービス創造企業といった清水太田市長、30人学級など教育改革に取り組んだ石田犬山市長など先駆的な首長の政策が全国に影響を与えました。

そのほかにも、静岡県、佐賀県などでは組織のフラット化、グループ化などの改革から始まり、カイゼンなど仕事の仕方の改革を行っています。

業務革新については、既に10年前、岩手県で元総務大臣の増田寛也前知事によって取り組まれています。

平成16年以降6年間で1000人余り、実に2割の職員を純減しています。

そのやり方は、間接部門のムダ取りです。

トヨタの元町工場で200人余りの間接部門の社員を3分の1に減らしたという情報を聞き、知事自らトヨタの元町工場に出向いて、どうやれば間接部門のムダ取りができるか教えを乞うことから始まりました。

期待したような回答はいただけません。

「社員がみんなでムダだと思うことを話し合ってムダな仕事を減らしていったら、人員がこの程度になったということです。」という返事でした。

つまり、何か特別な方法があるのではなく、一つひとつの仕事について、本当に必要なのか、この方法がベストなのか、ということを何度も何度も突き詰めていけば、ムダ取りも、むだ取りもできるということでした。

工場だからできる、単純な生産現場だからムダ取りができるということではないのです。

ムダが見えないと思い込んでいた事務管理部門においても、やっている仕事の大半は、実は資料作り、起案、上司への説明、打ち合わせ、会議、それらの準備等なのです。

企画立案等、頭で考える仕事にはむだ取りといった発想はなじまない、できないという甘えた発想は吹っ飛び、事務管理部門の会議、資料作り、決裁過程等あらゆるものが見直せると考えるようになりました。​

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