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災害対策は役に立つか
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災害対策と行政改革は何の関係があるのかと思われる方がいると思います。

災害対策は住民の生命財産を守るためですから、コストがどうとかいっていられませんし、手を抜くことはできません。

ですから、ムダ取りとかそういう話にはなじまないと思うかもしれません。

 しかしながら、2003年の新潟中越地震に際し、現場で指揮する新潟県庁が大きな被害を受けました。

全国知事会から支援要請が出され、都道府県はじめ全国の地方自治体から支援部隊が派遣されました。

岩手県からも、何次かにわたって支援部隊が送られ、派遣された職員は不自由な中で昼夜を問わず頑張ってくれました。

その派遣職員の体験を生かすべく報告会を開催し、今後の災害対策について職員の提言、意見等を聞いたときに、これまでの災害対策の抜本的な見直しの必要性を痛感いたしました。

 災害はいつ来るかもしれないため、どこの自治体も国も、万一の事態に備え、日ごろから訓練を実施し、マニュアル等を作っています。

しかし、実際に地震があった時、その訓練は本当に役に立つのかどうか。

どこの自治体でも災害対策本部が中心となって指揮することを前提にしていますが、その災害対策本部に人が近づけなかったらどうするか、停電しても自家発電で対応することにしていたが自家発電できなくなったらどうするか、陣頭指揮する本部が壊滅したり本部要員が参集できなかったらどうするか、通信機器等が使えなくなったらどうするか等、これまで当然存在することを前提に災害訓練等をしてきたのですが、その前提が崩れた場合、今の災害対策では次々と問題が発生すると教えられたのです。

 それまで災害対策は、被災され方々を行政機関等が救援するという前提で検討されてきました。

行政機関等が被災し、動けない場合をあまり想定していませんでした。

新潟中越地震はそれを考える機会となりました。

また、被災者が雪深い山間部に多かったこともあり、被災者が第1次避難所である体育館等に避難しても、停電しているため暖房は取れず、食料は運べず、極寒の山中で何日も過ごすのは無理だと教えられました。

役場の職員が救援活動を行おうにも、役場の職員も被災者であり、被災者が被災者を救援するのにも限界があることも教えられました。

もし、これが本県で起こったら、それも1月2月の厳寒期ならば極寒の避難所で耐えられるであろうか。

ましてや津波だったら海水をかぶった被災者は凍えかねないと思うと、見直しは喫緊の課題でした。

そのようなことを検討してみると、防災に関するシステムは再構築が必要となります。

これまで目に見える仕事のムダ取りを行い、さらには目に診えないむだを取り、最終段階として全体を観て、全体のシステムを再構築することが業務革新の目指すものと述べてきましたが、災害対策は、住民のニーズとそれらに対する施策の妥当性が、最もシビアに、かつ具体的に問われます。

そして、容赦なく、早急にシステムの再構築それも全面的な再構築が必要ではないかと考えるようになりました。

システムの再構築が必要だということは、それぞれの段階において大きな誤りがあるということです。

災害時において何をなすべきか考えると、防災担当者の言う、はやりの自助などという言葉は無責任な言葉そのものであって、役所の責任回避以外の何物でもないと感じるようになりました。

自助とは、何でも役所でやれるわけではないから自分で逃げてくださいという役所のアリバイのための言葉にしか聞こえなくなりました。

そんなレベルの仕事しかできないなら、防災担当など不要といわれかねません。

もう一度災害時において何をなすべきか、よく考えてみることにしました。まず被災者は何を求めるか(ニーズは何か)。

水、食料、毛布等の生理的な欲求もあれば、電気、暖房、避難所等の安全の欲求もあります。

次に現地の市町村は何を求めているか。県は何をすればよいか。

基幹システムは何をやるか、支援システムは何をやるか、と考えると、被災者のニーズの把握から始まり、ニーズに対しどのような対策が必要で、それを誰が担い、担う者をどのように教育訓練し、情報をどのように活用するか、となります。

これは、第3章3で述べたセルフアセスメントのやり方そのものです。

結局、これまでの国から流れてきたマニュアル型の災害対策は、役所の視点で考えたプロダクトアウト型のものであって、災害現場の実際の経験を生かした防災対策が必要ではないかと考えるようになりました。

これが、システムの再構築が必要だということだったのです。

その当時、総務省からいらしていた総務部長は、早速、これまでの災害対策の見直しを指示しました。

職員がどこにいても、どういう仕事をしていても、地震や津波があった時は、それぞれの役割を粛々と果たせるような組織にせよという指示でした。

その考え方はまだ十分に生かせていませんが、必ずやお役にたつと思います。

1 災害対策は機能するか

2009年1月、ニューヨークで飛行機がハドソン川に不時着しましたが、乗客乗員全員無事でした。

サレンバーガー機長は、「あの日のあの便に経験豊かな乗員が乗ることになっていたのだ。

私たち乗員は単に訓練どおりの仕事をしただけだ」と話したといいます。

この話は、災害など緊急時においても、普段の訓練がいかに重要かを教えてくれました。

ところで、私たちの災害対策は大丈夫でしょうか。

岩手県は、2008年、2度も大きな地震に襲われました。

その際、ゴルフ場に行っていた幹部たちに連絡がつかず集合に時間がかかり、災害対策本部の開催は大幅に遅れました。

また、他県から緊急派遣チームに来ていただいた際、拠点が設けられていないとか、災害派遣医療チームDMATとの連携に問題があったとか、いろいろな課題がありました。各自治体は災害時に備えて非常招集訓練等を行っていますが、いざというときに果たして有効に機能するでしょうか。

首都直下型地震のような大規模な場合は、災害の程度は想像を絶するものがあると思いますから、一地方自治体が対応できる限界を超えてしまいますが、それ以外の大地震の場合に、地方自治体は十分対応できるかどうか、次の点について、今一度、検証してみていただきたいと思います。

2 災害のときに防災の担当者は集まるか、交代の要員は確保されているか。

まず、直下型の地震で、県庁や市町村役場が甚大な被害をこうむったときにはどうなるのでしょうか。

災害が起こった場合、職員は県庁や市役所などに集まるように指示されていると思いますが、直下型の地震の場合、防災担当課の職員も、その他の職員も、被災者となって集まることができない場合も想定されます。

また、防災担当課の施設設備が被災し、連絡機能がやられた場合はどのように対応することとなっているのでしょうか。

さらに、防災担当課の職員のかなりの職員が被災して集合できなかった場合、代わりの職員に機器を操作できるような訓練は行われているでしょうか。

次に、災害発生時の最初の数日間は昼夜を問わず対応が求められると思いますが、同じ職員だけで40時間も50時間も対応することは難しいと思います。

その場合、交代のためのチーム編成が具体的に想定されているかどうか。

また、同じレベルで災害対応できる交代要員は訓練育成されているかどうか。

同様に、災害復旧に当たる土木や農林水産、保健福祉では、所属の職員が集まらなかった場合に備え、具体的にどの課の職員がバックアップするか支援体制が決まっているかどうか。

昼夜を通してできるように交代できる班編成が4チームも5チーム半も作ってあるかどうか。

このような視点から、今一度本当に機能できる体制になっているか見てください。

3 訓練のあり方

まず、直下型の地震で、県庁や市町村役場が甚大な被害をこうむったときにはどうなるのでしょうか。

災害が起こった場合、職員は県庁や市役所などに集まるように指示されていると思いますが、直下型の地震の場合、防災担当課の職員も、その他の職員も、被災者となって集まることができない場合も想定されます。

また、防災担当課の施設設備が被災し、連絡機能がやられた場合はどのように対応することとなっているのでしょうか。

さらに、防災担当課の職員のかなりの職員が被災して集合できなかった場合、代わりの職員に機器を操作できるような訓練は行われているでしょうか。

次に、災害発生時の最初の数日間は昼夜を問わず対応が求められると思いますが、同じ職員だけで40時間も50時間も対応することは難しいと思います。

その場合、交代のためのチーム編成が具体的に想定されているかどうか。

また、同じレベルで災害対応できる交代要員は訓練育成されているかどうか。

同様に、災害復旧に当たる土木や農林水産、保健福祉では、所属の職員が集まらなかった場合に備え、具体的にどの課の職員がバックアップするか支援体制が決まっているかどうか。

昼夜を通してできるように交代できる班編成が4チームも5チーム半も作ってあるかどうか。

このような視点から、今一度本当に機能できる体制になっているか見てください。

4 新潟中越地震の教訓

何故私たちは、そう考えたか。

かつて新潟中越地震の際、全国知事会からの支援要請を受け、岩手県からも支援チームが派遣されました。

そのときの派遣チームは、貴重な体験をし、その教訓を残してくれました。

①交代で活動できるように班編成をしっかりやること。

②持続的に活動できるように食事、宿泊場所、休憩場所、経路等を確保すること。

③情報の伝達経路を確保すること。  

④チームの活動の目的、趣旨をはっきりさせること。

⑤現地の主張要望等を丸受けせずに任務をまず果たすこと。

というようなことでした。

これらから教訓として学ばなければならないことは実に多かったのです。

まず、第1に、志願者で固めた支援チームであったため、意欲も高く、少しでもお役に立とうと思って夜を徹して駆けつけて救援に当たったが、その意欲も疲労の前には勝てず段々落ちていき、混乱していったといいます。

突然ですが、太平洋戦争の際、真珠湾攻撃を行った当時の海軍のパイロットの技術はきわめて高い水準であったと聞きます。

しかし、ミッドウエー海戦で、航空母艦とともに多くの航空パイロットを失ったため、その後は物量の問題だけではなく、パイロットの質の確保に苦慮したと聞きました。その象徴が台湾沖海戦で、戦果5隻撃沈が見間違いだったという悲しい結果になったといわれています。

これは、まさに失敗の本質です。

私たちは、同じ人員、体制を前提に問題を解決しようと考え、その人員、体制が確保できないときをあまり想定しません。

また、現地で食料を調達せよといった指示を出したため、それまで好意的だった現地の住民をみな敵に回したとか、兵站の重要性を認識しなかった戦いは失敗したという教訓も教わっています。

こうしてみると、何倍もの値段で食料を買い上げて農民の協力を得た秀吉の戦略の方が、大本営作戦参謀や海軍軍令部より、合理的で優れていたのかもしれません。

つまり、持続的な活動には、食事や宿泊場所の確保、交代要員など、活動と休憩を交互に確保できる体制が必要だということです。

今日でも、私たちは、そういう非常時の教訓を生かしきれていないおそれがあります。

次に、地震や津波などの災害の場合、救出が遅れることが致命傷となり得ることは周知のことです。

初期の救出活動が重要だということは論を待ちません。

そのためには、緊急時の情報の確保は最も重要なことです。

しかし、平時における訓練のときでさえ、ゴルフ場にいた幹部に連絡が取れなかったため災害対策本部の会議が大幅に遅れたとか、連絡の問題が起こっています。

こういう状況では、いざというときに心配です。

緊急時には他に優先するといわれている携帯電話が、果たして本当に機能するかどうかわかりません。

むしろ、必要な行政機関には、衛星利用の携帯電話や無線を常備させるべきです。

同様に、災害復旧を担う責任者にも、衛星利用の携帯電話や無線を持たせ、常に連絡が取れる体制を確保しておくべきです。​

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